2007年10月23日火曜日

キャリア制度を廃止に反対

どうしてキャリア制度を廃止しなくてはいけないのか私には理解できない。
キャリアという名を得る為にキャリアの人達はそれなりの努力をつんできている。
同じスタートラインにたって
(それは違う。…格差問題…という人もいるだろう。それは後で述べるとして)
小さい頃からの努力もあるだろう。
大学受験への並大抵の努力もあっただろう。
そして、それらの努力が実って、やっと手に入れたキャリアではないか
それをどうして廃止しなくてはいけない。
努力したものは その場においても評価されるべきだと思う。
確かにキャリアという名だけで、仕事の出来ない人も沢山いるだろう。
反対にキャリアではないけれど、能力があって仕事の出来る人も沢山いるだろう。
それは民間の企業でもどこでも同じ事だ。
ただ、退官後のキャリア官僚の独立行政法人への天下りに関しては絶対に反対だ。
この独立行政法人が我々の税金を食いつぶしているのだから。
国のために働きたい、国民のためになりたいと
入省当時は志に燃えているだろうに、そのうちどこでどう変化していくのか。
自分の能力を過信し、自分の欲の方が優先してしまう。
ほんの一握りの椅子を巡っての争いも大変だろう。
キャリアにも辛い試練があるのだ。
各々の中央省庁で頑張っていただいて、
退官したなら、首相のいう丁寧に人生設計をして貰うのではなくて
他の国民と同じように、自分で自分の道を切り開いてほしい。
キャリアになりたいという努力、志を認めよう。
この人たちの能力には計り知れないものがあると思うから。

格差問題を少し。
どの国にも格差はある。
どうしてこれが問題になるの?
今の世に中、共産国でさえ、格差があるというのに、
どうして民主主義国で皆平等になろうとしなくてはいけないのか?
わからない!
皆少しでもいい生活が出来るようにに努力を怠らないようにすればいい。
上の生活をしている人はそれなりの頑張りがあるはず。
決して、何もしなくて今がある訳ではないと思う。
…子供が小学生の時、
何年生だっただろうか。
運動会の順位もなくなり、
成績表も自分でつける、
ということになった。
それなりに頑張っている子供というのは、先生(他人)の評価がほしい、のだ。
親としても、頑張っている子供の姿を知っているだけに
唯一の通知表に何の評価ももらえず、先生の一言もない。
面談で頂くだけだ。
こんな制度なら一層のこと通知表なんてなくせばいいのにと思う。
現に、子供は何の為に頑張るのかわからない、と言っていた。
(今はどうなっているか知らないが)
多分これは…、
人それぞれできる能力が違うのだから、
自分の能力内で精一杯頑張ったのかどうかの評価だったのだろう。
他人の評価よりも、自分を見つめ、自分でその能力を切り開いていくようにと。
…でも、小学生の子供が真剣に自分の評価を出来るはずがない。
これと平行して別の通知表も必要だろう。
この事が根底にあるのか、
私は努力する者にはそれなりに報われるものがなくては、
子供でも やる気をなくす傾向がある、と思っている。

支離滅裂かな???

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